国語が苦手でも書ける、ライターをしながら学んだ関西流の文章術

15歳のころの私は、文書を書くことも本を読むことも嫌いでした。学校では「起承転結」「序論・本論・結論」などを教わりましたが、そんなことを教わったところで文章を書けやしません。だから文書を上手く書くのは才能だと思っていました。でも、ある時、おもしろくて、すっーと頭に入っていくような文章に出会い、書き方のヒミツに気づきました。

それは「文章は漫才だ」ということです。

「起承転結」や「序論・本論・結論」より、よっぽど核心をついていると思うので、詳しくお話させてください。

文章が漫才って、どういうこと?

たとえば教科書を読んでいるとき、頭のなかでこんな風に思うことがありませんか?「うん?どういうこと?」と。うまく理解できないと、そんなツッコミを入れていると思います。そのほかにも「それの、どこがおもしろいん?」「何が言いたいんねん?」などツッこんでいないでしょうか。

このツッコミが文章を書くときのミソではないかと思っています。

もう少し詳しく説明しますね。
先ほど「うん?どういうこと?」というツッコミをしたあと、うまい文章は、そのツッコミへの返しがきちんと行われています。たとえば詳しい解説や説明、あるいは具体例などが続きます。すると読者は「なるほうどそういうことね」「それで、それで」と、どんどん読み進みたくなります。

逆に、下手な文章はツッコミへの返しができていません。「うん?どういうこと?」と疑問に思っても、それに応じるような文章が続かず疑問が解消されません。そうなると読むのが苦痛です。

つまり、おもしろくて上手い文章は、読者にツッコミを入れさせて、それに対する返しを忘れずに行っています。そして「ツッコミ→返し」をリズム良く行えば行うほど、文章がますます面白くなり読者を惹きつけます。

ツッこまれない文章のほうが上手いのでは?

でも、そもそもツッこまれる、いわば疑問が残る文章って、うまい文章なの?と思いますよね。ごもっともです。ただ、ツッこむ必要がない文章って、はたしておもしろいのでしょうか。

極端でですが、たとえば次の文章にはツッこまないと思います。

今日は晴れていました。私は電車に乗って会社へ向かいました。会社に着いたらパソコンを立ち上げてメールをチェックしました。多くのデスクワークの方は、私と同じような日常を送られているのではないでしょうか。


頭の中に浮かぶのは「はい、そうですね」という返事だけだと思います。
ツッこむ隙(スキ)のない文章は、読者がすでに知っていることか、読者にとって関係のない他人ごとが書かれているだけです。
つまり読む価値がないのです。

漫才でいえばボケがありません。ボケがなければツッコミもできません。そんな漫才を誰が聞きたいでしょうか。文章も同じだと思います。おもろくて上手い文章は、ボケ(ツッこみたいフック)があり、それに読者がツッこみ、筆者が絶妙な返しをします。そうすれば読者と筆者が楽しい漫才をしているような感覚になります。

では、実際にどう書いたらいいの?

文章の書き方の核心を理解したら、次に「じゃー、実際にどうやって文章を書いたらいいの?」とツッコミますよね。それでは次回「文章は漫才」の実践編につづきます。

今回のまとめ

【1】
文章を書く才能は天性ではない。書き方のヒミツを知っているかが重要。才能がある人は、そのヒミツを無意識で実践しています。

【2】
「起承転結」「序論・本論・結論」などを教わり実践するよりも「文章は漫才」を理解しているほうが、おもしろくて上手い文章を書けます。

【3】
おもしろくて上手い文章には、読者がツッこむ隙(スキ)があり、その返しをきちんと行っています。

お疲れさまでした。ありがとうございます。

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