9月10日のお昼 冷やしおろし蕎麦@COVOJEAN

父の駄々

「社長。この度はうちの 丸山が、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」

 打ち合わせに遅れて取引先の社長を怒らせてしまったと、部下に泣きつかれた。こういうときに頭を下げるのが年長者の役割だろう。お辞儀の角度は九十度、少し大げさに聞こえるほど声を上げる。この仕事を、どうしても昼までに切り上げたい理由があった。

 昨日の夕食は珍しく家族全員が揃っていた。明日、中津の取引先に訪問する予定があると何の気なしに言ったところ、娘から「じゃあ、うちの職場の近くでお昼でも食べようよ」と、思ってもみない返事が返ってきた。幼いころの娘は「パパと結婚する」なんて、僕を慕ってくれていたが、その反動か彼女の反抗期は壮絶だった。希望する進路に反対したことが決定打となり、喧嘩別れのような形で京都の美大に入学して、家を出て行ってしまった。

 卒業後、彼女は中津の制作会社に就職し、家賃が勿体ないからとまた実家で暮らし始めた。ただ、僕とは今でもぎくしゃくした関係が続いている。妻が間に入ると会話が続くのだが、二人っきりになるとどうも間が持たない。だからこそ、娘とランチに出かけるなんて夢にも思わなかった。時間が合えばと強がってみたものの、嬉しくて顔がにやけてしまう。今朝も出がけに、「仕事終わったら連絡ちょうだいね」と、念を押されている。謝罪に熱が入るのも当然だろう。

「いや、私もついカッとなってしまって……」

 社長の気まずそうな声に顔を上げる。この様子なら上手く話が纏まりそうだ。

 娘との待ち合わせ場所まで小走りで向かう。残暑が厳しく額から汗が流れる。顔をハンカチで拭いながら、先に到着していた娘に「お待たせ」と声をかけた。

「あ、お父さん。お疲れさま。ねぇ、お昼ごはんお蕎麦にしない?」

 家族でレストランに出かけると、ハンバーグやスパゲッティばかり選んで食べている娘から、蕎麦屋を提案されたことに少し驚いた。最近行きつけなのだと案内された蕎麦屋は、まるでカフェのような佇まいで、僕が普段行く蕎麦屋とはかなり印象が違っていた。昼時ということもあり、食事を楽しむ会社員や近所の人でほぼ席は埋まっていた。一つだけ残っていたテーブル席に座ろうとした時、小さな子供連れの女性が入店してきたのが目に入った。

「すみません。あのー、私達カウンターでもいいですよ。ね、お父さんもいいよね」

 近くを通りかかった店員に娘が声をかける。「もちろん」と、慌てて席を移る。メニューに目を通し、冷たいおろし蕎麦を注文することに決めた。セットにした方がいいよと、娘がしつこく勧めてくるのでおにぎりのセットを注文する。

 料理が運ばれてくると、娘がなぜセットを勧めるのか分かった気がした。盛り蕎麦の皿の周りを、昔話に出てきそうな大きな三角のおにぎりにだし巻き。鳥の照り焼きにはカラフルなサラダが添えられている。娘の好きそうな食べ物が蕎麦の周りをぐるりと取り囲んでいる。そりゃあセットを薦めるわけだ。どれから箸をつけるか迷ってしまうが、やっぱり最初は蕎麦からだろう。薬味を入れずに、蕎麦を啜る。普段、口にしているものよりも細く、舌触りが良い。看板に手打ちと書いてあるだけあって「麺が旨いなぁ」と思いながら、大根おろしを入れてもう一口。キリッとしまった蕎麦と、大根おろしの辛さが合う。 

 ふと顔を上げると、娘が口いっぱいに蕎麦を頬張りながら、幸せそうに眼を細めている。麺を上手く啜れないのは相変わらずらしい。なんだ、まだまだ子供じゃないかと思った瞬間、「小さなころから絵を描くのが好きだったもんな。お父さん、美佳の夢に反対なんてしなければよかったなぁ」と、声が零れた。

 皿が空き始めたころを見計らって、暖かな蕎麦湯が運ばれてくる。蕎麦湯を飲みつつ、膨れた腹をさする。次は夜に来て、あのだし巻きで一杯やろう。娘が家でときどきチューハイを飲んでいるのを見かけるが、日本酒は飲めるのだろうかと、カウンターの酒を眺めながら思う。

「あのさ、お父さん」

 携帯電話に夢中だった娘が、顔を上げてじっと僕を見ている。意を決したような表情がかってないほど大人びて見え、僕は思わず息を飲んだ。

「ここね、彼氏に連れてきてもらったんだ。素敵なお店でしょ。……でね、今度お父さんにあいさつしたいんだけど」

 不意に子供のはしゃぐ声が聞こえ、後ろを振りむいた。五つぐらいの少女がどんぶりを抱込んで、幸せそうに蕎麦を頬張っている。もう少し子供のまま手元に置いておきたいと思う、身勝手な願いは叶わないようだ。

9月10日のお昼
冷やしおろし蕎麦@COVOJEAN

父の駄々

「社長。この度はうちの 丸山が、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」

 打ち合わせに遅れて取引先の社長を怒らせてしまったと、部下に泣きつかれた。こういうときに頭を下げるのが年長者の役割だろう。お辞儀の角度は九十度、少し大げさに聞こえるほど声を上げる。この仕事を、どうしても昼までに切り上げたい理由があった。

 昨日の夕食は珍しく家族全員が揃っていた。明日、中津の取引先に訪問する予定があると何の気なしに言ったところ、娘から「じゃあ、うちの職場の近くでお昼でも食べようよ」と、思ってもみない返事が返ってきた。幼いころの娘は「パパと結婚する」なんて、僕を慕ってくれていたが、その反動か彼女の反抗期は壮絶だった。希望する進路に反対したことが決定打となり、喧嘩別れのような形で京都の美大に入学して、家を出て行ってしまった。

 卒業後、彼女は中津の制作会社に就職し、家賃が勿体ないからとまた実家で暮らし始めた。ただ、僕とは今でもぎくしゃくした関係が続いている。妻が間に入ると会話が続くのだが、二人っきりになるとどうも間が持たない。だからこそ、娘とランチに出かけるなんて夢にも思わなかった。時間が合えばと強がってみたものの、嬉しくて顔がにやけてしまう。今朝も出がけに、「仕事終わったら連絡ちょうだいね」と、念を押されている。謝罪に熱が入るのも当然だろう。

「いや、私もついカッとなってしまって……」

 社長の気まずそうな声に顔を上げる。この様子なら上手く話が纏まりそうだ。

 娘との待ち合わせ場所まで小走りで向かう。残暑が厳しく額から汗が流れる。顔をハンカチで拭いながら、先に到着していた娘に「お待たせ」と声をかけた。

「あ、お父さん。お疲れさま。ねぇ、お昼ごはんお蕎麦にしない?」

 家族でレストランに出かけると、ハンバーグやスパゲッティばかり選んで食べている娘から、蕎麦屋を提案されたことに少し驚いた。最近行きつけなのだと案内された蕎麦屋は、まるでカフェのような佇まいで、僕が普段行く蕎麦屋とはかなり印象が違っていた。昼時ということもあり、食事を楽しむ会社員や近所の人でほぼ席は埋まっていた。一つだけ残っていたテーブル席に座ろうとした時、小さな子供連れの女性が入店してきたのが目に入った。

「すみません。あのー、私達カウンターでもいいですよ。ね、お父さんもいいよね」

 近くを通りかかった店員に娘が声をかける。「もちろん」と、慌てて席を移る。メニューに目を通し、冷たいおろし蕎麦を注文することに決めた。セットにした方がいいよと、娘がしつこく勧めてくるのでおにぎりのセットを注文する。

 料理が運ばれてくると、娘がなぜセットを勧めるのか分かった気がした。盛り蕎麦の皿の周りを、昔話に出てきそうな大きな三角のおにぎりにだし巻き。鳥の照り焼きにはカラフルなサラダが添えられている。娘の好きそうな食べ物が蕎麦の周りをぐるりと取り囲んでいる。そりゃあセットを薦めるわけだ。どれから箸をつけるか迷ってしまうが、やっぱり最初は蕎麦からだろう。薬味を入れずに、蕎麦を啜る。普段、口にしているものよりも細く、舌触りが良い。看板に手打ちと書いてあるだけあって「麺が旨いなぁ」と思いながら、大根おろしを入れてもう一口。キリッとしまった蕎麦と、大根おろしの辛さが合う。 

 ふと顔を上げると、娘が口いっぱいに蕎麦を頬張りながら、幸せそうに眼を細めている。麺を上手く啜れないのは相変わらずらしい。なんだ、まだまだ子供じゃないかと思った瞬間、「小さなころから絵を描くのが好きだったもんな。お父さん、美佳の夢に反対なんてしなければよかったなぁ」と、声が零れた。

 皿が空き始めたころを見計らって、暖かな蕎麦湯が運ばれてくる。蕎麦湯を飲みつつ、膨れた腹をさする。次は夜に来て、あのだし巻きで一杯やろう。娘が家でときどきチューハイを飲んでいるのを見かけるが、日本酒は飲めるのだろうかと、カウンターの酒を眺めながら思う。

「あのさ、お父さん」

 携帯電話に夢中だった娘が、顔を上げてじっと僕を見ている。意を決したような表情がかってないほど大人びて見え、僕は思わず息を飲んだ。

「ここね、彼氏に連れてきてもらったんだ。素敵なお店でしょ。……でね、今度お父さんにあいさつしたいんだけど」

 不意に子供のはしゃぐ声が聞こえ、後ろを振りむいた。五つぐらいの少女がどんぶりを抱込んで、幸せそうに蕎麦を頬張っている。もう少し子供のまま手元に置いておきたいと思う、身勝手な願いは叶わないようだ。

手打ちそばとお酒と音 COVOJEAN

COVOJEANでは、お昼は北海道上川町産、夜は猪名川道の駅自家製粉のそば粉を使用しております。

石臼挽きのそば粉を手打ちしたおいしい蕎麦を、店内やテラス席にてゆっくりとお楽しみください。

お昼は二八そばやつけそばはもちろん、季節ごとに楽しめるこだわりのお蕎麦を、おにぎりやおかずと一緒に。夜は、美味しいお酒と一緒に、一品料理やお蕎麦が堪能できます。

これまでの「なかつのおひる」

冷やしおろし蕎麦@COVOJEAN

大阪市北区 中津とその周辺のランチタイムをお届けするフリーペーパー「なかつのおひる」
今回のお昼ご飯は、距離のあった父と娘が食べる、COVOJEANの冷やしおろし蕎麦。

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